ここまでの道のり5

初めての人は必ずこれを読んでね!

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ハープとの出逢いは、前回でおしまいです。

私と音楽について少し・・・

私の母は、こどもをコントロールしたい親の典型のような人でした。
遊ぶ友だちにも、口出ししてましたから。
○○ちゃんとは、遊んじゃダメよ!みたいなやつね!

本人は悪気はないんでしょうけどね・・・


今でいう「毒親」ってやつですよね( *´艸`)

母自身の好みと、他にもいろいろ事情あって、こどもの頃からスポーツ(メインは水泳と剣道)をやらされていました。

「やらされていました」( *´艸`)

水泳は、日本水連の指導者の資格を取ったし、剣道も初段だけど一応有段者。
身体も大きくて体力もあったし、鉄棒以外はどんな種目もすべて平均以上できた。

でもね、やっぱり本当に好きでやりたいこととは違った。

音楽が好きで、やりたくてやりたくて・・・

でも、絶対にさせてもらえなかった。

同じ100円を使うにしても、母の思うような使い方でなければ認めてもらえない・・・
そういう感じだった。

母は、スポーツをやってる人は不良にはならないという考えでもあったので、クラブ活動も文系のクラブは認めてくれなかった。

こどもだったので、食べさせてもらって、夜寝れる環境を手放すわけにもいかないから、言うことを聞かない訳には行かなかった。
言うことを聞かなかったら追い出されるんじゃないかっていう恐怖に縛られてた。
父には、しょっちゅう放り出されてたから・・・
※ホントはね、これも思い込みかもしれないと思うようになったけど、お金を稼げない年齢のこどもにとって、家のことはやっぱり生死にかかわるので難しいです

友だちの家に行って、ピアノやエレクトーンがあったら、弾かせてもらっていた。
友だちの見よう見真似だったけどエレクトーンも普通に弾けた。


12歳の頃、宝塚が好きになって、楽譜についてるコードが知りたくて、中学校の図書館で見つけた本格的な楽典の本を何度も何度も借りて繰り返して読んだ。
今みたいに簡単にコピーができる時代じゃなかったから、必要な個所は全部手書きでノートに写した。
後で分かったけど、短大で勉強した内容を中学校の時に理解してたので、まあ凄いんだろうと思う。

見かねた親が、中古の足踏みオルガンを買ってくれた。
母にしては、お金的にも、気持ち的にも精一杯だったんだろうと思う。

高校に入って進路を決める時、短大に行って初等教育を専攻したいと思った。
理由は、「ピアノの授業がある」から。
選んだ短大は、生徒が自由に使えるアップライトピアノが100台以上あって、数は少ないけど申請すればエレクトーンも弾けたし、グランドピアノもあった。

問題はお金(授業料)と女に教育は要らないという親の考え。

高校卒業したら、働いて家にお金を入れて、適当な時期が来たら結婚しなさいって・・・
何時代の話なんだよ・・・



両親の前で、土下座して頼んだ。

「小学校の先生になりたいから」って・・・

嘘つきました!
まったく心が痛まなかったと言えば嘘になりますが、これくらないら許されるはず!!!

よね??????????


閻魔様ごめんなさい・・・ヾ(≧▽≦)ノ

学費以外は、一切お金を要求しませんと約束して受験させてもらった。

親のご機嫌を取るために、野菜とか安いものなら買って家に入れてもいた。

高校3年の時、音楽の先生に「初等教育を専攻したいけど家庭の事情でピアノは習えない。だからせめて少しでも練習したいんです。」と頼んで、お昼休みに音楽室のグランドピアノを貸してもらった。
めっちゃ快く貸してもらった!!!


早弁して、4時間目終了と同時に音楽室へ突撃!
5時間目が始まるまで、毎日毎日ピアノを弾いた。
と言っても、誰が見てくれる訳でもなくひとりで弾くだけ。
でも、それでも嬉しかった。

何しろ、グランドピアノ!!!

グ♥ラ♥ン♥ド♥ピ♥ア♥ノ~💕

大事だから大文字にして2回言う!ヾ(≧▽≦)ノ

もともと、人と一緒につるむことに対して執着がなかったし、何を言われてもどうでも良くって、自分のやりたいことがあったらやるっていう人でした。
割と一匹狼的な感じ。

休み時間に一緒にトイレとか行かない。
なに?それ美味しいの???ヾ(≧▽≦)ノ

女子なのに、ぜんぜん可愛くないやつ!!

※だって・・・「中身はおっさんでごめんね」だもの( *´艸`)
 そーそー、中二と恋する乙女、夢見る夢子な姫も同居中!!!


おかげさまで合格して、2年間ピアノとバイトに明け暮れた。
月曜から土曜までは、始発の次のバスで家を出て、授業の後はバイトに行くか、学校が閉まるまでピアノを弾いて、最終バスで帰宅。
日曜は、水泳のインストラクターとして、1日バイト。
長期の休みも、もちろん連日バイト。
2年間で、何も入れない休日にしたのは祝祭日だけ。

それで、交通費、学用品、被服費、趣味などはもちろん、一生懸命貯金もした。
卒業と同時に、20万以上出してピアノタッチのエレピを買った。
※40年近く前の20万円だから、今だったら・・・?

若かったからできたことだと思う。

ピアノの授業は、週に1回、10分。
それでも大満足だった。

生まれて初めてプロに聴いてもらえる!
ただただ嬉しかった。
こどものころからの夢が叶った!

※今思えば、親に「〇〇したい!」と土下座までした。
 壁を壊した私への神さまからのご褒美。
 最初から諦めて就職してたらこんな体験はできなかった! 

バイエルは2回で終了(ホントです!!!)
ブルグミューラーは、2回で1曲のペースで仕上げて(ホントです!!!笑)、すぐにソナチネ。
卒業する時には、ソナチネとツェルニーは100番を終わって40番に入るところまで行けた。
その時の先生が、せめて小学校高学年からでも良いから、ちゃんと先生についてレッスンしていたら、音大のピアノ科もストレート合格できただろうに、もったいないって・・・そう言ってくれた。
私にはその言葉だけで十分で、プロにそこまで言ってもらえて幸せだった。

打楽器の授業で、本物のスネアも叩かせてもらった!!!
マイスティックを買って、座布団で練習したな~。
だから、なんちゃってドラムロールくらいならできるよ!!!!!!
※半分は、タンロール誤魔化すけど( *´艸`)

やりたくてもやれなかった音楽。

ハープを目の前にした時に、ずっと禁じられていたあの時のことが、私なんて・・・という思いになったんだと思う。

お金に対するブロックも相当なもので、自分にお金を使う価値があるなどと思えず・・・
買ってもらえなかったこと、お金を使ってはいけないと禁止されたことのみが脳裏にこびりついて、楽器どころか好きな洋服1枚買うにも罪悪感に押しつぶされそうになった。

でも、生き方を変えた私に、神さまがご褒美として与えてくれたハープ

お金がないならともかく、有るのならば迷っていけないと思った。

そういう感じなので「練習」という感覚がない。
ピアノの時もそうだったけど、ただ触りたいから触ってたら上手になった・・・
そんな感じ。

習ってる年数の割には上手に弾ける(らしい)ので・・・他人の進み具合にはまったく興味がない人です 笑・・・どれくらい練習するのって聞かれることも多かった。
その時、「ああ、みんなは『練習』してるんだ」って気づかされて、私はみなさんの言うような練習はしていませんと、そう正直に伝えた。

可愛くないやつヾ(≧▽≦)ノ

正式な音楽教育(私的には音楽専攻の高校とか音大っていうイメージ)を受けたことのない先生と、正式な音楽教育を受けたことがない私。
とっても素敵な化学反応が起きてると思う。

私の心や体や魂に同調して、音はどんどん変化する。

だから私は、まず自分を整えることに専念したい。


これからも、どんどん変わって行く音を楽しみたいと・・・そう思っています。

つづく💕(たぶん次で最後!)