ここまでの道のり4

初めての人は必ずこれを読んでね!

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先ずすぐにやったことは、宝塚の観劇チケット入手。
何十年ぶりだったろう・・・

好きな服と言っても手元には、そういうものがほとんどなかったので、次に買う時から好きなものを買った。

食べたいものを食べる!
これが一番ハードルが高かった・・・
摂食障害が治ってるのに、カロリーを見る癖が消えない・・・
結局買うんだけど、必ずカロリーを見る。
見ないと落ち着かない・・・
でもある日、思い切って、ただ「食べたい!!!」という気持ちで手に取ったものを、そのままカゴに入れられた。
たった100円の菓子パンだったけど、私にはフランス料理のフルコースよりも価値のあるものだった。
涙が零れて止まらなかった。
本当に嬉しかったから・・・・・

空が青いことも、花が綺麗なことも、暑さも寒さも、雨でさえも愛おしかった。
私の人生に、色や音や味、感情・・・いろいろなものが鮮やかに戻ってきた。

でもね、やっぱり順調に行くはずもなく、いちいち沸き上がる罪悪感との戦いが待ってた。
こどもの頃からの呪いは、なかなか消えない。
身体の細胞全部に刻印されてる。
この呪いは、本当に数年前まで残ってた。
親と離れても、親が亡くなっても、見えない鎖は私を縛り付けてた。

って・・・
ううん、本当はね、自らが縛ってるんだよ

そこに気づくのがね・・・
全部自分のせいって、誰が認めたい???
でもね、全部自分なんだよ。
大人になったら、自分自らやってるって・・・
そこを認めないと、先には進まない

ダメな私も、弱い私も、できない私も、選べない私も、進めない私も、まずはいったん全部認めて受け入れないと先には進めない。

厳しいようだけど、誰かのせいにしている時点で、変化は望めないし、今いるところから違う場所へは移動できない。
移動できたように思えても、また同じようなことが繰り返される。
心当たりはありませんか???

「〇〇だから、✖✖できないんです」

私も、しょっちゅうそう言ってたし、そういう考えだった。

虐待されたから・・・とかね。
姑に言われるとかね・・・(^^;)

上手に利用するのは良いと思う(≧▽≦)
嘘も方便(爆)

こどもの時ならまだしも、大人になって虐待してた親が目の前にいないのに、そう言い続けるのは変化するのが怖いだけ。
虐待された可哀想な私にしがみついてるだけ。

悲劇のヒロインごっこが大好きだったのだ!!!

留まるのが悪いんじゃなくて、今と違う状況を作りたかったら自分が変わるしかない。

全力で「NO」を言うしかない。


壁を壊すのは自分。
誰かが壊してくれるのを待っててもダメ。
いや、勝手に壊れる時もあるんだけど、その間に過ぎた時間は、決して戻らない。

失敗しても繰り返す。

本当に変わりたければ、ごちゃごちゃ言わずにやる。
本気度が試されてると言っても過言ではないかも・・・
時間がかかっても、失敗しても、上書き保存を繰り返せば、変わって行ける。
スムーズに行かなくて当然。
スムーズに行かなくて良い。

ということで、待ってないで、王子様は白馬に乗って自分でゲットしに行こう!!!

あああ、変化しない選択が悪いんじゃないので、そこは誤解ないように!!!

あとね・・・口では「変わりた~い」と言ってても、肚の底(本心)では、変わりたくない人もいるので、そういう人はいくら何をやっても、誰が何を言っても変わらない。
だって、そこが良いのだもの!
だから、それはもう好きにしてください!!!
良い悪いじゃないよ!


何で変わりたくないか・・・
それは・・・なんだかんだ言っても「やっぱり今の状況が(自分には都合が)良いと思ってる」もしくは「変化が怖い」・・・かなあ・・・自分のこと、たくさんの臨床経験から、たぶんこの2つがほとんどじゃないかと思う。

とにかく・・・

変わるも変わらないも
好きにすれば良いよ~~~!!!

※「変わる」と書いてるけど、私の中では「還る」「元に戻る」「(元の自分を)想いだす」の方が本来の私の想いにしっくりきます。
 でも、「変わる」と表現した方が分かりやすく、誤解が少ないかなと思ったので、今回はあえて「変わる」と書きました。

※変化した先はゴールではない。物事はずっと変化し続けるものだから・・・

※こういうことも書き出すと本当に奥が深くて、ここに書いてることも、苦労した経験の極極極極一部で、今の私の生き方のベースになってる想いの一番表面のことしか書いていません。

ゴメンナサイ。話がそれちゃった・・・

そうやって生き直し始めてすぐ、FBでお友だちになっていたアロマの学校時代の恩師(眼科医・心療内科医・ホメオパス)が、ご自分のタイムラインにハープの演奏会をすると投稿された。

その先生がハープを習っていたのは知ってた。
恩師が演奏するんじゃなくて、ハープの先生を招いて、アルバイトで行ってる小さなクリニックの小部屋で演奏会をするよ!っていう投稿だった。

アイリッシュハープ

前世でアイルランドにいたからというのもあるけど、とにかく行きたい、行かねばと思った。

すぐ恩師に連絡して参加した。

演奏会は、生き方を変えてちょうど2週間後・・・4月中旬のことだった。

椅子に座っても、床に座っても、気にならないなら横になっても良いって言われた。

私は、ハープの前に横になった。
遠慮も何もなかった・・・
ただ、そうしたいと思ったから・・・

1時間ほどの演奏中、ずっと泣き続けた。
とにかく涙が止まらない。

これは、生き方を変えた私への神さまからのご褒美だと思った。

頑張ったねって言われた気がした。

すぐにでも弾いてみたかったけど、まだまだ「こんな私が楽器なんて・・・」という思いが外せなくて、楽器って高いだろうなとか、そういう思いもあって、この時は習うのを見送った。

見送ったけど、魂は知ってたと思う。
必ず弾くって・・・
私の準備が整ったら、すぐに話が進むって・・・

ハープに初めて出会って演奏始めるまでの2年半の間に、私は自分を見つめ直した。
パンドラの箱を開けた。


見たくない自分、気づかないように封印していた自分がそこにいて、シブシブでもそういう自分を認めて、その自分に従って行動していたら、周りにいる人がどんどん変わって行った。

本当に出逢うべき人に出逢った。
また、神さまからのご褒美だと思った。

私が私に還れば還るほど、色んなことがスムーズに運ぶようになった。


ハープに出会ったのが2013年の4月。
心が固まったのは、2015年の8月。

ハープを習いに行こうと決めてすぐに、FBで「あの時」のハープの先生を探した。
あの人の音が良いと思った。
他の人を探そうなんて、これっぽちも思わなかった。


すぐ見つかって、「中古のハープが出ました」と、ハープの写真とともに投稿が上がってた。
面識もないのに、「1か月半ほどしたら習いに行きたいので、そのハープが欲しいです」とメッセージを入れた。
直ぐに返事が来たんだけど、残念なことにその子はお嫁入り先が決まった後だった。


正式に習いに行くことは決めてたけど、メッセージした1か月後、体験レッスンに行った。


レッスンルームには、ハープが置いてあって、先生が言うには、珍しいことに、あの後すぐにまた中古のハープが出たと・・・私のためにキープしてくれていた。
会ったことも、話したこともなく、まだ正式にレッスンを受けると決まった訳でもない私のことを覚えていて、私のためにキープしてもらったハープ。

感動以外に何もなかった。

その時聴いたパッヘルベルの「カノン」
「カノン」が大好きで、色んなバージョンの音源を持ってるけど、ハープ1本の先生の演奏が最高だと思った。
ハープで「カノン」が弾きたいと思った。

シンプルだからこそ、その人そのものが現れる


もちろんその場で、そのハープをお迎えしたいとお願いして、その2週間後から正式にレッスンを始めた。

それが、ちょうど6年前の10月だった。

これが、私とハープとの出会いです。

生き方を変えなくても出会っていたかもしれません。

でも、私は、私が生き方を変えたから、元に還ろうと思ったから、そう決めて勇気を出して歩き出したからこそ、出会えたのだと・・・そう思っています。

この時だけではなく、この後も、そして今も、やはりそういうことの連続ですから・・・

つづく💕