ここまでの道のり1

初めての人は必ずこれを読んでね!





ハープに出会ったのは、8年半前・・・2013年の4月。
50歳の誕生日の直後。

アロマの学校時代に、講師として来られていた、とってもお世話になったDr.がハープを習ってて、自分の先生のコンサートを診療所のフリースペースでされた。
FBでその告知を見て、すぐに連絡を入れて参加させてもらった。

靴を脱いであがるカーペットのお部屋だったので、椅子はもちろん、直接床に座っても、横になっても良いとのことだった。

私は、遠慮なくハープの目の前に横になって聴かせてもらった。

演奏の時間は、たぶん1時間くらいだったかな・・・最初から最後まで号泣。
すぐにでもやってみたかったけど、お金のこともあったし、なにより当時の私はまだまだ「私なんかが・・」という呪いに捕らわれてて、勇気が少なくて一歩が踏み出せなかった。

でも、アイリッシュハープが神様からのご褒美だということは魂レベルで知ってたし、絶対に弾くことになるだろうことも知ってた。
でも動くまでに、その後1年半の時間が必要だった・・・

どうしてそういう思いだったのか・・・
どうしてハープにたどり着けたのか・・・
少しずつ書いていきますね。

私は、父からの被虐待者でした。
それ以外に、共働きだったため、母からの希望で、幼少期(小学校1年生とか)から親代わりとして年子の弟の面倒を見なくてはならず、とくかく「良い子」であることを求められ、私も殴られたくない、怒られたくない、認められたい一心で「良い子」を演じ続けました。


それは、食べて行くため、命を繋ぐため・・・

「良い子」でいなければ「ならない」
親の言うことは聞か「ねばならない」


もちろん、当時は無意識だけど。

私の年代では珍しい共働きの原因は・・・
何と!!!
父が家にお金を入れず趣味に使っておったのですよ!!!!
だから、超絶貧乏!!!
※下着と普段着・普段履きの靴くらいしか新品は買ってもらえなかったヾ(≧▽≦)ノ
 靴以外は母が買ってき買ってくるので、好きなものは着れない

しかも、当時住んでいたのは祖母名義の家、電話の名義も祖母!!!

いやはや凄いよね、父!!!!
ヒモじゃないか!!!

そのことを、はっきり母から聞いたのは、祖母が亡くなった4~5年前くらい。
薄々は何か変だと思ってたけどね・・・
まさか、ヒモだったとは・・・
おかしすぎる!!!
ある意味尊敬するわ、父!!!!!!!

西洋占星術的に「地」の星座が少ない私が、得意ではないけどお金の計算や実務がある程度やれるのは、
少ないお小遣いをどうやって上手に使うか!から始まってます。
1円単位まで計算してたから。
これは両親に感謝だよね!!!


そのせいだと思うけど幼稚園の頃からすでに不眠症。
「不眠症」だとしっかり自覚したのは小学校の高学年。
もちろん「不眠症」という言葉を知ってたわけじゃないけど。
おこずかいを溜めて買ったラジカセで、ラジオの深夜放送を毎日聴く日々。

それ以外に・・・
摂食障害(過食・拒食/非排出型)
過敏性腸症候群
過換気症候群
パニック障害
うつ病
胃潰瘍
早期初潮(ホルモンの異常)
月経過多・月経困難症・月経前症候群
起立性調節障害
幼少期からの酷い虫歯
   などなど・・・・・・・

書いたらキリがないほどの症状と共に、ずっと生きてきました。
※各症状の詳細・経過は長くなるので、ここでは無しね♥
 

高校の時に、過呼吸で倒れて救急車で運ばれたことも・・・
その後精神科に連れて行かれたけど、あまりの異様な空気感(波動?)に恐怖を覚え通院はできなかった。

結婚して症状はさらに悪化。
まあ、俗にいう「嫁VS舅・姑・夫(アレ???笑)」、3対1で、ストレスMAX・・・

地下鉄と大阪の環状線に乗れなくて、3時間以上歩いたこと
通院する心療内科が遠くなり、来た電車にすぐに乗れなくて、何台も何台も電車を見送ったこと
お守りを持たないと、徒歩10分のスーパーにも行けなかったこと
外食ができなくて、朝家を出たら夜まで飲まず食わずだったこと
ピカピカの青空の下を歩いていたら、とめどなく涙が溢れて困ったこと
誰にも知られず、そっと消えたいと思ったこと
声を失ったこと
体重が30kg台になって嬉しかったこと(当時はね!笑)

症状には、かなり大きな波があって、マシな時と酷すぎて生活がままならない時を繰り返した。
見た目が元気そうなので(もちろん元気そうに見せていたことも)、言わなければ誰にも分からなかった。
さっき書いたのは、かなり酷い時。

でも、それらの症状があって、そしてそれをしっかり自覚して感謝と共に手放したから、ハープにたどり着き、今の私がいるので、すべてに感謝しかないけど!!!


つづく💕