初めての人は必ずこれを読んでね!
「ここまでの道のり1」はこちら
精神科へは通院しておらず、心療内科に通院し出したのは38歳の時。
これくらい時に自分で本を読んでアロマを始めた。
「治りたい」「楽になりたい」一心で、藁にもすがる思いだった。
当時は、ただ好きな香りを嗅ぐだけで精一杯だった。
自宅で不安からの過呼吸を起こし、近所の救急外来を連日受診。
何回目かの時に、看護師さんから「これは心療内科の病気だから受診してみては?」と受診を勧められました。
心療内科の世界、ホリスティック医療の世界では知らない人がいないんじゃないかと思うくらい有名な先生が、その病院にいた。
ちょっと迷ったけど、その後すぐに予約。
その先生は、ホメオパシーを勉強し出したということで、精神薬以外にホメオパシーもしてくれた。
※その後自分でも勉強して、今は常備してます
初めて自分の気持ちを遠慮なく言える。
そんな人と出会って、まるで夢のようで、甘えたくて甘えたくて、私の中の小さい私が暴走を始める。
看護師さんにも甘えまくった。
今なら分かるんだけど、他人で自分が充たされるはずもなく、渇望感が増すばかり・・・
この頃に、ヒプノセラピー(前世退行催眠)を受けた。
その時見えたのは、アイルランドで生まれ、スコットランドで死んだ女性でした。
その先生は2年で転勤。
次の主治医が、私にアロマの学校で学んでみないかと薦めてくれた。
私が?
パニックとかあるのに?
しかも京都から大阪に行けって?
でも、なんか行こうと思った。
お金を捨てる覚悟で入学手続きを進めた。
後で知ったんだけど、アロマ界の東大と言われるくらいハードなところだった。
準看のテストを5年分くらいやって、85点~90点くらいは取れるくらい・・・と言えば、医療従事者の方なら私の知識の程度を分かってくださるだろう。
医療関係の勉強が好きだったので、苦労どころか学べる喜びでいっぱいだった。
ただし、地下鉄に乗れないとか、発作が出るとか、いろいろ大変だった。
2年勉強して、卒業後すぐ京都の外来のみのクリニック内での施術をさせていただくようになった。
でも葛藤の日々・・・
「患者」である私が「セラピスト」として存在しても良いのかって・・・
その葛藤は通院を止めるまで続いた。
私の中では、そこはやはり区別されるものだと認識してて、セラピストとしての自分・・・つまりクライアントが、患者としての自分の自己肯定感アップのための道具になっていないかどうか、しっかり見極める必要があると思ってる。
本来、自分自身を癒せないものが、他人の人生に安易に関わるのは、危険だし本当に注意が必要だと・・・
「癒してあげてる私」
いやいやいや・・・
本人の中の力が発動しただけで、セラピスト(セラピー)は単なるきっかけに過ぎない。
きっかけにすらなってないかもしれない(^^;)
エネルギーの交換になるから、本当に注意が必要だと私は思ってる。
しかし通院を止めるのは、とても勇気のいることで、居場所をいったん失う(ように思えるだけなんだけど)
でも、やはりそこを乗り越えてこそなのかなと・・・
自己管理のため、他のセラピストさんにかかるのとはちょっと違うかなという感じ。
だから、私の本当のセラピスト人生は、8年半前に始まったと思ってる。
セラピストとしての想いは、機会があればまた別に書きます。
セラピストとして動き出したのが、2005年8月・・・
2013年8月に通院を止めるまでのこの間が、心身ともに本当にしんどかった。
薬の量は増えるばかり・・・・
言いたいことが言えず体調を崩す
人の顔色を窺って体調を崩す
父がアルコール依存症になって、通院の付き添いを頼まれて断れず体調を崩す
そして・・・
甘えたくて仕方なくて、体調を崩す(苦笑)←疾病利得狙ってますな(苦笑)
嫌なことをやりたくなくて体調を崩す(苦笑)←疾病利狙ってますな(苦笑)
通院してるのに頑張ってるね
病気があるのに頑張ってるね
病気を利用してましたね(大爆笑!)
ほんとごめんなさい・・・
でも、やっぱり薬を止めたくて、薬の勉強をいっぱいして、先生に相談して、自力で断薬した。
飲んでる薬の量が半端なかったし、ほとんどが精神薬だったので、止まったり進んだりで、結局トータル3~4年くらいはかかった。
断薬のきっかけは・・・
短時間の眠剤が効かなくて、少し作用の長いものを内服したら、効果はないのにいつまでも薬が切れない。
昼間、フラフラで蛇行して歩いてると言われたのがきっかけだったと思う。
めちゃくちゃ怖かった・・・
薬ってそんなに怖いと思わず、ちょっと楽になるからと甘い考えでのんでた。
「眠剤くらい・・・」
「軽い安定剤くらい・・・」が命取りになりかねないので、本当に気をつけて欲しい。
心からそう思います!
つづく💕