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★10/13
◎傷のなめ合いは・・・
たぶん良いことはない
《今日のひと言について》
摂食障害が治る前から、
イベントなどに関わったり、
治った後も、京都市内で
開かれていた
自助グループに
参加していました。
摂食障害であっても
何かお役に立てないか、
私が摂食障害と
言うことをオープンにして
生きることで、
誰かの励みにならないか、
そして私自身も、
出逢いなどを通して
助けて
いただけるのではないか、
そういう思いがありました。
同じ病氣を持つもの
同士だから、
細かいことを
説明しなくても
大まかなところは
すぐにわかり合えるし、
拒絶や拒否反応を
示されることもない。
イベントに
関わってくださる
専門家の先生方も、
心療内科医だったり
セラピストだったりと、
理解のある方ばかり。
守られている
安心できる空間として、
イベントに関わることや
自助グループに
参加することは、
「最初」は私にとって
心地の良いことでした。
無条件で
認めてもらえて、
無条件で受け入れて
もらえることは
本当に嬉しく、心地よく、
私にとって
本当に必要な場所だと
喜びに震えました。
でもね、だんだんと
違和感を感じるように
なってきたんです。
それはね・・・
俗に言う「傷のなめ合い」
みたいな空氣が
ずっとその場を
支配していることに・・・
最初は良かったんです。
私も、その空氣感が
心地良かったんです。
でもね、
それをし続けている限り、
先には進まないんです。
それに氣づいてしまった時の
何とも言えない氣持ち。
失望とか絶望とか
悲しみとか・・・
哀れみもありましたね・・・
これは他の人に
対してもですが、
自分自身にも
強く感じました。
ここにいては、
ずっとずっと一生
「私は病人です」
「摂食障害だから
仕方ないよね」という
スタンスから
抜けられないと思いました。
参加の回数を
減らしていくうちに、
主催者さんの体調も
悪くなり
(自助グループのほとんどは、
当事者が回しているところが
多いです)
開催されなくなり、
そのまま消滅して
しまったようです。
(現在の状況は分かりません)
励まし合うこと、
認め合うことと、
傷のなめ合いを
同列に考えていたけど、
それは違うのです。
それに氣づいた時の
絶望感は大きかったけど、
氣づけて良かったと、
今はそう思っています。
「励まし合うこと」
「認め合うこと」
その上で、
成長する方向へ
意識をともにできる
仲間とともに
過ごす時間。
これが本当の意味で、
自助グループに
求められることではないかと、
今はそう思っています。
あくまでも理想ですけど。
※主催者、参加者ともに
自助グループに
関わっている人を
非難する氣持ちは
まったくありません。
本当に素晴らしい
活動をされていると
頭が下がる思いです。
そういうこと
(傷のなめ合いのようなこと)が
必要な時期があるのも
重々承知しています。
私も必要としていました。
その上での
個人的な感想です
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