高校の恩師を探します!

勝手な決意表明で、
長文になりますので
退屈な方はスルーしてください。

先週の日曜日(6月4日)、
還暦記念の同窓会がありました。
同窓会の前日6月3日には、
卒業した高校
(京都府立洛水高校)に
入れる機会を
作ってくれた同級生がいて、
41年ぶりに校内に
入らせていただきました。

当時の私は、鎧や仮面を
山盛り装着して生きていました。
表面は取り繕っていたけど、
中身は生きているのか
死んでいるのか
分からない状態。

まったくの無氣力ではないし、
完全に絶望していたわけでもないけど、
未来に希望はありませんでした。

高校1年生の時の
クラス担任だった先生には、
当時から大変お世話になり、
迷惑もいっぱいかけ、
今も、ご自宅に伺える関係で、
奥さまにも本当にお世話になり、
可愛がっていただいています。

私が探したいのは音楽の先生♫


「一度で良いからピアノを習いたかった」

小学校の先生になりたいと嘘をついて、
ピアノの授業がある初等教育学科に
進学したいと言いました。

当初、親には反対されましたが、
色んな条件を出して
どうにかこうにか頼み込み
受験させてもらいました。

その準備として、
ピアノの練習をするため(独学です)、
学校の音楽室のピアノを貸して欲しいと、
音楽の先生にお願いに行きました。
自宅にはピアノがなかったからです。


教科としての音楽を選択はしていたけど、
ひとりの生徒の超個人的なお願いを
きいてもらえるかなんてわからず・・・


でも、先生は、
月曜から金曜までのお昼休み、
音楽室のグランドピアノを
貸してくださったんです。

懐かしい音楽室

洛水高校は新設校で、
私たち2期生が、
校舎を使い始めた
初めての生徒でした。
私がお願いした時は、
ピアノもまだ3年目の
真新しいもの。

3時間目が終わったら早弁をし、
4時間目が終わったら、
ダッシュで職員室へ!(1階)

先生から鍵をお借りして、
音楽室(4階)まで
階段を駆け上る。

5時間目が始まる
ギリギリまで
ピアノを弾いて、
また職員室へ鍵を返しに行く。

これを、毎日毎日……
月曜から金曜まで
やっていました。


短大の2年間、
思いっきりピアノを
弾かせてもらったけど、
私が音楽の道に進むなんて
当時はまったく思っておらず、
音楽の先生とは、
そのままになってしまいました。


まさか、自分がCDを作って、
ハープの演奏でお金をいただくことに
なるなんて想像すらできなかった。

先生と連絡先を交換していなかったことが
悔やまれて悔やまれてなりません。
疎遠にしてしまったこと。
悔やんでも悔やみきれない・・・
後悔しても遅い・・・

6月4日の同窓会の時、
お世話になった先生方に
CDをお渡しして、お礼を言って、
ひと区切りしたと思ったけど、
私が本当にCDを渡したい人、
渡さねばならない人は、
お世話になった音楽の先生だと、
心からそう思い、
同時に心から後悔したのでした。

3人の子どもたちも
京都府立高校に行っていましたが、
そこにはいらっしゃらず、
ネットで調べたら、
吹奏楽部で
指揮を取られていた関係で、
コンクールのデータが
残っていました。

2004年を最後に
途絶えていたので、
そこで退職された可能性が大きい。

最後の赴任高校は


「京都府立山城高校」

ネットではこれが限界だったので、
私は、京都で生まれ育った
若いお友だちに連絡をして
事情を説明し、
知りませんかと尋ねたんです。

そうしたら・・・
彼女が高校に入学した時に
吹奏楽部にいらっしゃったことが判明!
しかもその友人は短期間とはいえ
吹奏楽部に入っており、
お母さまにまで聞いてくれて、
アルバムを確認してくださり、
先生のお名前も同じでした。

退職される時に、お母さまが、
「介護のために退職して田舎に帰る」
と、直接先生から聞かれたとのこと。
定年よりもかなり早い時期に、
退職されたようです。

まさか、こんなにドンピシャで
しかも一瞬で話が繋がるとは
思ってもみなかったので、
一瞬は天国に登ったように思ったけど、
定年退職以外なら、
教育委員会経由では
追跡は不可能と聞いていたので、
ちょっと退路が立たれています。

京都市内にはいらっしゃらない
だろうことは分かったので、
なにか対策を・・・と言っても、
先生の故郷がどこかもわからず、
なので興信所に頼むにも頼めず…
※こんな状況で頼んだら
 お値段が・・・恐怖💦💦💦

まずは、先生の故郷を探すところから。

連絡の取れそうな先生方に
聞くことから始めようと思います。

どんな結果になるかわからないけど、
先生は、たぶん70代のはず・・・
今ならまだ間に合うと思うので、
CDをお渡ししているビジョンを
しっかり描いて諦めず動きます。

お名前は

「今戸英二先生」

本当にお世話になった
素晴らしい先生でした。

とにかくやれるだけやります。
頑張ります!

41年前の卒業アルバムの今戸先生