声を出すということ

私、子どもの頃から歌うのが大好きです
お芝居も好きでした(演じる方ね)

でも、父に言われた言葉が胸に刺さって
それは、いつしか見えない楔となって
私の奥深く奥深く沈んでいきました

それがきっかけで、私は歌声どころか
普段話す声にもコンプレックスをもってしまい
とにかく自分の声が嫌いで嫌いで嫌いでした

氣取っている

ただこの一言が、ほんの数年前までの私を支配していたのです

親が子どもに放つ言葉は、時にその後の人生を潰しかねない
命さえ奪いかねないものだと、私は思っています

最初は親にかけられた鎖かもしれない
でも、それはいつしか、自分の身体の一部のように同化し
鎖で縛られているということすら自覚できなくなる

それが一番怖いことだと思っています

自覚できれば、手だてを考えることもできるけど、
自覚がなければどうしようもありませんから・・・

今は辞めたのですが、私が自分に歌う許可を出せたのは
ボイトレに通うことを許した時

やっと、人前で歌っても良いよって、自分に許すことができた

それでも、時々は「こんな声なのに(人前で歌って)良いのか」
という思いが沸き上がってきた
※私の場合、音程が取れない(音痴)とかではなく
 自分の声そのものが受け入れられなかったのです

自分に許可を出した(親から打ち込まれた楔を抜いた)つもりだったけど
本当に見えない(感じられない)奥の奥の奥にまで
楔を打ち込まれていたのだと、その時実感した

あとね、声が出ない(高音)のは精神的なものが大きいと
先生からそう言われた
なので、ヨーロッパ旅行から帰った後とか
何か大きなことがあるたびに声が変わるのを実感した


今は、卒婚して引っ越して、サンゲイジングと瞑想が習慣になって
クンダリーニ覚醒して、さらに声が変わったなと自覚している

許し・・・そして解放

でね、またひとつ次への扉が現れたの
それは「スタンドFM」という音声アプリで発信すること

原稿を作ったり、準備は進めているのだけど
なかなか一歩が踏み出せない

それは、「声」だけで発信するという
私にとって、一番大きな楔を抜く作業だから

演劇も少々かじった
あの時も台詞を言う自分の声がどう聴こえているのか
それが氣になって氣になって仕方がなかった

でも演劇の場合、やはり身振り手振り、お衣装など
視覚に頼れるという安心感があったからできたのだと思う

さて・・・
いつ「スタンドFMデビュー」しましょうか・・・?


好きだけど、やりたいけど、
自分に許可を出せないことってありますか?

もしかしたら、親(もしくは他の誰か)から
打ち込まれた楔が邪魔していませんか?

でもね、大丈夫!
とにかく、少しずつでも良いからやること
楔をうった本人が居なければなおさら!

やれば良い!

遠慮することはないんだよ!

もし楔をうった本人がいても、
無視をすれば良い

もちろん、何か言われるのって
嫌な氣持ちになるかもしれない

でも、あなたはその人のために生きているの?


人生、思っているほど長くはない

ねえ、今のままで
死ぬ時に後悔しない?


やりたいことをやって良いよ!

結局、自分が一番自分を受け入れていない

どうか自分に許可を出してあげてね!